ピロムが本を出したと言われて,誰のことだかさっぱりわからない者もいれば,一方で懐かしさに胸を熱くする者がいても不思議ではない。少なくとも90年代後半から00年代前半の時期に,ギャルもしくはギャル男を経験したことがあるのなら,あるいは彼らをよく観察していたのなら,誰もがピロムを知っていたし,その彼女が誰であるのかくらいは必須の知識として備わっていなければならなかった。好き嫌いは別にして他を圧倒する存在感が彼とその周辺にはあったのである。
そんなピロムこと植竹拓氏が著した『渋谷(ピロム)と呼ばれた男〜ギャル男の終焉〜』は,ギャル男の指定教科書『men’s egg(メンズエッグ)』の休刊に時期を合わせるかたちで刊行され,「渋谷」と同列に並んでも違和感のない元祖ギャル男による鎮魂歌である。
ストーリーは一人称「俺」のピロム氏を中心に展開され,じっさいに目撃して経験したことをありのままに綴る。ピロムが誰なのかわからなくても,編年体で書かれているため,順を追って渋谷カルチャーのありようを概観することができる。あるいは,『egg(以下エッグ)』とその派生系のメンズエッグがどのようなものであったのかを知る手がかりになるかもしれない(1)。
―ギャル雑誌eggの視点がとらえたピロム
ピロム氏はメンズエッグで活躍する前に,ギャルの聖典であるエッグに載るようになって人気を獲得したのであり,エッグとその読者が発見していった有名人だと今でも思っている。偏った見方かもしれないしエッグだけでピロム氏のすべてを説明できるとは思わないが,「ピロム」を語るうえでエッグを視点にするのはむしろ正当な気がしてならない。逆にエッグを除外して彼を語ることなど不可能に近いし,じっさい著者自身もエッグとのかかわりに紙幅のかなりの部分を割いて言及している。ピロム氏がエッグ誌上を賑わせていた時期と,渋谷ギャル文化が急激な盛り上がりを見せ,いよいよ(少なくとも肌を黒く焼くという点において)限界に達しようとしていた時期(2)とがほとんど重なるのは興味深くて,「エッグに出ていたピロム」を強力に印象づけている。
本書にピロム氏の元恋人としてM・Mという女性が登場する。彼女は当時のエッグで圧倒的な人気があった人物で,かつての読者であれば誰もが知るところである。それは,向こう100年は破られないであろう規格外の人気を獲得した伝説というのは言い過ぎかもしれないが,エッグがその他大勢のファッション誌を置き去りにして唯一別次元を経験した時代を象徴する存在であった。ピロム氏もM・Mの絶大な人気とその後現在まで及ぶ影響力については自著で触れている。倒産寸前だったメーカーのヘアスプレーを彼女がが雑誌で紹介したところバカ売れしてビルが建った(昔から有名な?)話もしっかり紹介されている。
一般的な見方では,個人の半生を綴った書物によくある交際関係の話に過ぎなくても,エッグな視点で眺めようとするとそうもいかない。彼らが付き合っていたことは,誌面でふたりの特集がたびたび組まれるほどであったから,公然の事実であった。読者はそれを,誌面で繰り広げられるスペクタクルとして,経験を共有したのである。良くも悪くもギャル同士が昔を振り返ろうものなら特定の個人が話題になることは珍しくなく,二人の名前は必ずといっていいほど挙げられる。エッグを通して共有したものの多くは,個人単位の物語に還元されて消費されていたように思う。
―ギャル同士をつないだ誌上の共同体
個人が話題になる時によく聞かれるのが「○○チャン(3)は今何してるんだろうね」のようなその後の行方を気にするやり取りではあるが,じっさいに会ったことも見たこともない場合がほとんどなのに,まるで同窓会のようである。たしかに謎な人が多かったのも事実だけれど,ギャル雑誌だけが接点のようなものだったから,出ていた人が引退してしまうと,あるいは読者が読むのを止めてしまうと,ブログもSNSもなかった時代にその後のことを知る手段は実質的になかった。別の言い方をすれば,当時「大人ギャル」のようなカテゴリーは整備されておらず,卒ギャルすればまったくテイストの異なる雑誌に移行するしかなかなく,誌面を賑わせた人物がスムースに移行できる後継雑誌もないに等しかったといえる。突然いなくなって突然記憶からも消えた,そんな感覚があるのはこのためかもしれない(4)。
このような周辺を楽しむ読み方はファッション誌の本質的な部分からはかけ離れているのかもしれない。けれども,間違いなくそれは書物のジャンル「エッグ」の本質ではあった。付け加えるなら,昔のエッグは後ろのページにいけばいくほど編集部がだんだん本気を出して別の雑誌になるため,コンテンツの中心を担っていたようなものだ。名前が自主規制のエキサイティング系カメラマンK・鈴木氏は現在,高級外国車2台を乗り回しているとのことだが,昔から複数の車を所有していたような記憶がある。どうでもいいことではあるけれども,なぜか忘れないのは結局どうでもよくなかったのだろう。編集部の面々や「ピロム」も,エッグが提供した紛うことなき物語であったのだ。
(1)エッグの誌面には独特の世界観があるので時に忍耐を伴う。昔のギャルファッションを知るうえで全盛期のエッグに勝る資料はないにしても,待ち受けているのはきわめてファンタジーな,ギャルとギャル男の大運動会のレポートであったり,前出のK・鈴木氏と水着ギャルによる「温泉エッグ!」 のコーナーであったりするわけだから大変である。
(2)日焼けの程度を競うレースではゴングロ三兄弟(ゴンサンwith U)がその限界を確認した。
(3) 「チャン」は女性の敬称に対して用いられる正式な記法で,男性に対しては「クン」である(※例外もある)。 現行のエッグでは「©(コピーライトの記号)」と「kを○で囲った記号」もよく使われる(読み方は変わらず「チャン」と「クン」)。ピロム氏の著書では亜紀 ©や花子©といったなつかしい人たちのその後についても時々触れられている。よっちゃんは本文中に往年の写真付きで登場する。よっちゃんが意味する範囲は写真がないと伝わりにくい。美恵ちゃんはこんなところにいたのか。ブリテリも元気そうでよかった。
(4)『姉ageha』の正式な創刊を機に往年のエッグを賑わせた数名が復活している。Girl’s History of egg Flowersもエッグを駆け抜けた10人のその後を知ることができる貴重な書。ところで,M・Mが伏字なのは,配慮があったのかもしれないが,けっしてNGだからではない。ちなみに書籍のベースとなったブログの記事ではM下・Mは実名フルネームで登場しているし,一方のM・美恵もモデルとして復帰するきっかけを与えたのがPRMであったことをGirl’s History of egg Flowersで述べており,現在は互いにリスペクトする関係である。