革靴とスーツにかんする雑感

『第一回革靴論考~セメンテッド製法の優位性~』(http://articles.transtyle.jp/2013/06/mens-shoes.html)へのレスポンス記事です。

黒がgucciで茶色がPRADA(私物)

今まで革靴の製法についてあまり気にしたことはなかったし,正直詳しいことは何も知らない。知らないだけに上の記事が指摘していることがとても興味深く,じぶんの所有している靴を調べてみた。

私の持っている革靴はすべて,イタリアのプレタポルテのそれなのでおそらくセメンテッド製法なのだろうと勝手に想像していたものの,どうやら必ずしもセメンテッド製法というわけではないようだ。写真に示したのはPRADAとGUCCIのもので,4~5年前に買ったもの。

PRADAがセメンテッド製法なのは素人の私が見てもわかるけれど,黒いほうのGUCCIの靴は違う。というのも目立たない位置に縫い目があるし,インソールを確認してみるとはっきりと縫い目があることがわかる。上の記事の著者に問い合わせたとろ,マッケイ製法で間違いないとのこと。

靴の世界もじつに奥深くていろんな種類のマニアがいるのは知っているし,革靴マニアとスーツマニアはほとんど同じ位相にいる気がする。どちらかにこだわればもう一方にもこだわらざるを得なくなるし,着用を前提にしないコレクターを除けば,一方だけでは完結しない。

わたしもスーツや革靴が好きだけれど,知識がなさ過ぎるし持っている数も少なすぎてマニアを自認するのは躊躇してしまう。もっとも,彼らとは注目の仕方が違うのだから比べても意味がないと思っている。これ以上,靴について話を展開させる能力を持ち合わせていないので,以下ではスーツにかんする雑感を述べることにする。

じぶんの場合,スーツは生地や製法といった問題よりも,身にまとった時にセクシーであるかどうかが重要である。もっとも,セクシーの基準などは主観的なものであるのはわかっているけれども,たとえば,細身の方が好みだし,ボタンは2つがいい。胸元のVゾーンは大きく大胆に開いていないとテンションが上がらないし,胸元の突っ張った感じを演出するために,わざと少し小さめのサイズを選ぶこともある(もちろん大胸筋の強化も欠かしてはならない)。ディテールに注目するならば,シャドーストライプのギラギラした妖しさも悪くない。

ネクタイは基本的にせず,2つほど持っていないなくて,そろそろカビが生える頃かもしれない。幸いなことにネクタイする必要に迫られたことがほとんどないし,仮にしてしまったら胸元の演出が台無しになる。シャツのボタンは基本的に第3ボタンまで空ける。
(世の中にはスーツの一部としてベストと呼ばれる得体の知れないものがあるらしいが,それは美味しいのだろうか)

このような着こなしを邪道だという者もいるだろうし,あるいは基本がなっていないという者もいるかもしれない。これらは自由な解釈の一例としてあっていいし反論するつもりもないし,したところで意味がないと思っている。

というのも,ここからが重要なことなのだけれども,スーツというのは断じて「制服」ではないのだし自由に身にまとわれるべきものだからだ。「面接にはスーツで行くべきか,それとも私服で行くべきか?」というような質問がおおよそ意味をなしていないのに,ほとんど疑われることなく通用していることにそもそもの問題がある気がしてならない。

制服というものは学生や特定の職業に従事するものが着用する制度としての衣服<コード>であって,繰言になるけれどもスーツは制服でない。そして,いうまでもなく制服の対概念は私服であり,制服―私服の対立するニ項のどちらかに位置づけるならば,スーツは紛れもなく私服である。「スーツ」と「私服」という,そもそも対にできないものを同列に並べている時点でもういろんな意味でアレなので,面接とかそういうことよりも先に学ぶべきことがある,と思う(代替表現をひとつ挙げるならば「スーツか普段着か」のようになる)。私服である以上,その着こなしは状況が許す限り自由であるべきだし,まとう者の個性が大いに反映されていい。

※    ごちゃごちゃと何を屁理屈みたいなことを言っているのだという意見が聞こえてきそうな気がするが,研究する組織に所属しているとこのような言葉の使い方や概念の操作にかんしてものすごく神経質になるもの。上述したようなことはまだかわいい方で,もっとハイパー超絶鬼やばい人がごろごろいる。なんというか,人の揚げ足をとることにかけては天才的な能力を発揮する人がいるのだよ。そういうのは,相手にしたら,負け。

※    英国の流儀では云々の講釈も無意味。身分不相応の若者がLouis Vuittonのバッグを持つのは世界的に見て云々の議論と同じくらい無意味。ここは日本である。日本には日本に独特の社会的文脈と流儀があるのだ。もう一度いう,ここは日本である。フランスの事情を引き合いに出して日本の「ブランド信仰」を批判するような自称ファッション・ジャーナリストは,大好きなパリにとっとと永住して日本に帰って来なければいい。日本ほどファッションが独特の発展を遂げて多様性に富んだ国はないのだし,そういった部分をしっかり検証したり評価したりせずに批判だけするのは勉強が足りない。入国禁止。

Arthur:EVANGELISTA

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ELENA EVANGELISTA

著者: ELENA EVANGELISTA

TRANSTYLE専属ライター 東京大学大学院修士課程修了 脳内ニューヨーク出身/東京都在住/年齢不詳/趣味は美容と身体管理/老けたら負けよ かわいいものが大好きです。 言いたいことが言えない記事なんてポイズン。

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